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アイコン 「コンビニたそがれ堂 : 星に願いを」村山 早紀

 

9784591118306「コンビニたそがれ堂 : 星に願いを」

(コンビニたそがれ堂 : 3)

村山 早紀 : 著 , 早川 司寿乃 : 絵

ポプラ社 , 246p. , 2010年

ISBN : 9784591118306

 


 

早いもので、明日からはもう二月。

松の内に初詣に行ったのがまだ先週のことのように思えるのに、あっという間に月末です。

 
今日紹介する1冊は、狐の神さまが店長をしている、少し変わったコンビニのお話です。

 


 
物語の舞台は、海と丘が見える風早の街。狐の神さまに守られた、歴史ある街です。

風早の街には「たそがれ堂」というちょっと不思議なコンビニエンスストアがあって、

名前の通り、夕方から翌日の夜明けまでの数時間だけ営業しています。

 
たそがれ堂は、「大事な探しものがある人」だけが見つけることのできる店。

棚には、この世のすべての物があります。(この世以外のものもあるかもしれません。)

 
迷った時は、おでんカウンターの向こうにいる、銀髪金目の店長にお尋ねください。

きっと切れ長の目をふわっと和ませて、優しい笑顔で答えてくれます。

 
「いらっしゃいませ、お客さま

さあ なにを お探しですか?」

 


 
「コンビニたそがれ堂」シリーズは、2013年1月現在4巻まで刊行されています。

元々は2006年に名倉 靖博さんの挿絵でハードカバーの児童書として刊行されましたが、

ノスタルジックな内容が成人読者の支持を得て文庫化され、ますます読者が増えています。

(二作目以降は、最初から文庫で出ています。)

 
物語は各巻ごとに完結しているのでどの巻から呼んでも大丈夫ですが、

現在刊行されている4冊の中で、私はこの3巻目が、いちばん好きです。

 


 

第一話 『星に願いを』

50ページほどの短編。

小学六年生の女の子の、ある夜の奮闘を描いています。

「目的」のために、ワタワタしつつもメゲずに頑張る彼女も可愛いのですが、

個人的に中盤から登場する「ふたり(二柱?)」に嬉々としました。

「つくも神」という言葉にアンテナが反応する方に、一押しです。

 
第二話 『喫茶店コスモス』

60ページほどの短編。

商店街に一番古くからある喫茶店のマスターの、ある朝の出来事です。

物語として、三作の中でいちばん綺麗に完成しているように思います。

マスターがサイフォンでコーヒーを淹れるシーンでは、香りが目に見えそうでした。

直伝してもらった店長のコーヒーも、やっぱりとても美味しいのだろうと思います。

 
第三話 『本物の変身ベルト』

110ページほどの中編。

雑貨店の新入社員の青年の数日間の様子を、時系列で追っています。

ヒーローに憧れ、インターネットが生活に入り込んでいる彼の「日常」はとても現代的で、

ツイッターとの関わり方や、日々の中でふと「残念な気分」になった時の感情の変化は、

彼の甘さや弱さも、不器用さも冷静なツッコミも含めて、とても身近な気がします。

要所要所でドキッとして、どこかほろ苦くて、でもなんとなくホッとする最終話でした。

 


 
村山早紀さんは、私にとって「『シェーラひめのぼうけん』の作家さん」という印象が強く、

最初にこの本を読んだ時は、やや年齢層高めの作品の雰囲気に少し驚きました。

 
(「シェーラひめのぼうけん」は、7~8歳くらいから読める、全20巻の息の長い人気作品。

低年齢層向きと侮るなかれ、精霊や竜も出てくる、アラビアンな骨太ファンタジーです。

…このシリーズについては、後日また別記事を立てます。きっと。間違いなく。)

 
けれど、笑いのエッセンスとほのぼのとしたやり取りと、言葉が胸に刺さったときの痛さと、

予想外の展開や不意打ちをかけるタイミングの巧みさはもちろん変わらず生きていて、

やっぱり読むのが楽しい作家さんだなぁ。と、再認識しました。

 


 
名倉さんが作画を担当された「楽しいムーミン一家」が大好きなので、文庫化の際に

本文中の挿絵がまるっと無くなってしまったのは、正直なところとても残念でした。

 
でも、早川さんの表紙もとても素敵ですし、大人も手に取りやすい装丁になっているので、

現在の読者傾向(多分、子どもと大人半々か、ともすると大人の方が多いかも…)を

鑑みると、年齢層やニーズに合った装丁になったんだなぁ。と、しみじみ思います。

 
また、巻末の石井ゆかりさんの解説は、このシリーズ全体の雰囲気を過不足なくぎゅっと

濃縮していて、名解説だなぁと唸らされます。

中でもこの一文は、読んでいて膝を打つような思いでした。

誤解を恐れず、思い切って言ってしまおう。

人を未来に進ませてくれるのは、「過去」と「思い出」なのだ。

ポジティブシンキングやら、切り替えの良さやら、ではない。

(中略)

思い出や過去は、人を裏切らない。

それは事実で、何よりも真実だからだ。

(中略)

「過去と思い出」が、決して人を縛りつけたり停滞させるものではないことを、

(作者は)登場人物の自然な気持ちの動きを通して、語りかけてくれている。

「後ろ向きな生き方」なんかじゃない、ちゃんと真正面に過去を見るやり方を、

静かに教えてくれている。

 

そういえば「思い出」は、今回の影の主役だったなぁ。と考えさせられます。

物語の中盤で、街の守り神(風早三郎)と住民との思い出に触れる場面がありますが、

そこでの「神さまと人」の関係は、どこか親しみがあって、とても日本的でした。

 
我が家では、毎日ご飯を炊くと火の神さんと水の神さんとご先祖さんにもお供えをして、

12月にはクリスマスケーキを焼き、1月には氏神さまと地域の大社にご挨拶申し上げます。

厳格な区切りを持たず、こんな風に神さま仏さまごちゃ混ぜ状態で育った私にとって、

節目節目に「御参り」「お祈り」する時というのは、「他力で叶えて欲しい望み」というより、

「少し遠くで、見守っていてください」という、願いに近い気持ちでいるような気がします。

 
それはもしかしたら、まだ「自力ではどうしようもないけど、どうしてもどうにかしたいこと」に

遭遇していないからなのかもしれません。

 

――そしてそれは、とても幸福なことなのかもしれないなぁ。とも、思います。

 


 

備 考

ポプラ文庫ピュアフル : む-1-3

ムラヤマ サキ , ハヤカワ シズノ

コンビニタソガレドウ ホシニネガイヲ

コンビニタソガレドウ : 3

 


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