« 「旅の絵本Ⅱ」安野 光雅 ホームへ戻る top ホームへ戻る 「ドローセルマイアーの人形劇... »

アイコン 「山に肉をとりに行く」田口 茂男

 

9784265043651「山に肉をとりに行く」

田口 茂男 : 写真・著

岩崎書店 , 36p. , 2012年

ISBN : 9784265043651

 


 

自分で料理をするとき、私たちは多くの場合、お店で材料を買ってきます。

野菜、果物、魚、肉、海藻、牛乳、豆腐やベーコンなどの加工食品、調味料…。

家庭菜園で野菜を育てたり、家族が釣ってきた魚を捌くことはありますが、私も自分で

鳥を絞めたり、獣を解体して肉を切り分けたりした経験は、今まで一度もありません。

(やってみろと温かいまま渡されてスンナリ出来る自信も、恥ずかしながらありません。)

 

けれど、昔ながらの自給自足に近い生活を営んでいる人たちは、今も全国にいます。

 

この本の舞台は、岐阜県飛騨地方、郡上市明宝(旧・郡上郡明方村)。

主人公は、熟練の猟師であり、農家であり、林業にも携わる、山仕事のプロたち。

作者は、この地に20年以上住む、東京生まれのベテラン写真家(兼、猟師見習い)の田口氏。

今日の1冊は、自身も山と川に魅せられた作者が、山と生きる人たちの「日常」を淡々と追った

ほぼ全ページ写真入りのルポルタージュ。小学生から自分で読める、写真絵本です。

 


 

この本に登場する猟師たちは、畑を耕し野菜を育て米を収穫するのと同じテンションで、

山の木を伐採し、怪我に気を付け、猪や鹿の「肉をとる」ために山へ入ります。

 

彼らにとって「狩猟」は特別なことではなく、日々の糧を得るための仕事であり、日常です。

だからでしょうか、作者との会話も、獣たちの仕留められた姿や解体する時の写真も、

とても淡々と語られ、撮られ、文になり、編集され、まとめられて、本になっています。

この本の中の温度は、ほぼ一定。高すぎもせず、低すぎもせず、静かにありのままに。

 


 

「山に肉をとりに行く」のは、彼らにとって「日常」のこと。普段の生活の、ある一日の一部分。

日常とは、眠り、起き、食事をし、仕事をし、稼ぎ、楽しみ、休憩し、祭りをし、季節がめぐること。

何十年と続けてきた、これからも続けていくであろう、毎日の毎年の積み重ねのこと。

(自分に置き換えると、朝起きて顔を洗い、ご飯を作って家族を送り出し、仕事し、本を読む。

これまでも考えるまでもなく何気なく続けてきて、きっと今後も多分、淡々と繰り返すこと。)

 

――あぁ、それが、「日常」なんだ。と、この本を読んでいて、改めて気付かされました。

 

テーマの重さに構えていると拍子抜けしてしまうくらい淡々と綴られた彼らの「山の日常」は、

最後のページを閉じたとき、寧ろだからこそ静かに雄弁だったのだ。と気付かされます。

 

食も職も、毎日のことであり、熱に浮かされた勢いや情で続けられるようなものではないのだと。

熱情とも冷静さとも違う、淡々とした繰り返しの中で続いていくものなのでは、ないだろうかと。

 

読み終わって、裏表紙の解体された肉の串刺しの(とてもおいしそうな…!)写真を見つつ、

昔住んでいた窓から見えた飛騨の山並みと、朝市に並んでいた採れたて野菜を思い出しつつ、

ぼんやりゆっくり静かにつらつら、常温の考えを巡らせつつ。

 


 

Memo

「サツキマスのいた川」は、作者の田口さんが以前上梓した、長良川に棲む生物や

川と共に生きる人を穏やかな筆致で描いた、20年以上読み継がれている児童書。

91年の刊行で、文章の方が多い本ですが、真摯で優しい視点で書かれた良書です。

 

備 考

ちしきのぽけっと

タグチ シゲオ

ヤマニニクヲトリニイク

 


« 「旅の絵本Ⅱ」安野 光雅 ホームへ戻る top ホームへ戻る 「ドローセルマイアーの人形劇... »