「科学と科学者のはなし」寺田 寅彦
「科学と科学者のはなし」
寺田 寅彦 : 著 , 池内 了 : 編
岩波書店 , 284p. , 2000年
ISBN : 978-4001145106
こんな先生が身近にいたら、科学を好きにならないでいられるわけがない。
この本は、根っからの寅彦好きである池内氏が、青少年向けに編集した一冊です。
作者の寺田寅彦は、アインシュタインの来日歓迎会にも出席した第一線の科学者であり、
旧千円札の顔になった夏目漱石の愛弟子であり、自身も一流のエッセイストでした。
彼のエッセイを最初に読んだ高校生のとき、私はワクワクがとまりませんでした。
今でも読むたびに発見があり、読後の日常は彼の視点を得て益々楽しく、面白くなります。
科学者らしい冷静な好奇心に満ちた視点は、100年近く経った現代でもまったく古びたところなく。
それどころか今なお斬新で、キリッと角が立っていて、かつ、茶目っ気も見え隠れ。
読めば読むほど、寺田寅彦と言う人は(自身でも語っているとおり)、
「自然を恋人とした、自然が真心をうち明けた」科学者であり、文学者なのだと感じます。
エッセイ全体に通奏低音として流れているのは、
科学者として日常への謎かけと好奇心を忘れない視点。
それは、線香花火一本の中にある序破急や起承転結を楽しみ、そこに詩や音楽を感じ、
一方で同時にそのメカニズムを詳しく知ろうとする「線香花火」(p.93)や、
鳶が高空から鼠の死骸などを発見してまっしぐらに飛び降りる。という事実を元に、
「しかし、目測高度100~200mを飛ぶ鳶の目に、15cmほどの大きさの地表の鼠は
5ミクロン程度に見える計算になる。このサイズでは、形態異同は困難だ。
さて、どうやって見つけ、過たず攫っていくのだろう?」(※意訳)
…と疑問を持ち、推論を重ねていく「鳶と油揚」(p.252)のエッセイなどからも、見て取れます。
漱石との交友録や回想録にもとても味わい深いものが多いのですが、
一部を抜き出すと却って魅力半減なほど良いものばかりなので、
これはぜひ、手にとって実際に読んでいただきたいです。
最後に、今回再読して印象に残った二箇所を引用して、終わります。
科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない。
しかし、一方でまた、科学者はあたまがわるくなくてはいけない。(中略)
けがを恐れる人は大工にはなれない。
失敗をこわがる人は科学者にはなれない。
科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、
血の河のほとりに咲いた花園である。
一身の利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。
※「科学者とあたま」p.198
われわれの子どもの時分には、火の玉、人魂などをひどく尊敬したものであるが、
今の子どもらはいっこうに見くびってしまってこわがらない。
そういうものをこわがらない子どもらを、少しかわいそうなような気もするのである。
こわいものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。
こわいもののない世の中をさびしく思うからである。
※「人魂の一つの場合」p.223
もし、現代に寅彦がいたら…。
いったい彼はどんなエッセイを書き、研究をし、どんな本を上梓したのかな。
ふと、そんなことを思う、今日この頃です。
備 考
副題 : 寺田寅彦エッセイ集
岩波少年文庫 : 510
カガクトカガクシャノハナシ : テラダトラヒコエッセイシュウ
テラダ トラヒコ , イケウチ サトル